真珠湾攻撃が報じられたその日、勝利を伝えるニュースから背を向けるように、作家の野口冨士男は映画館に向かった。私小説「その日私は」によると、もうアメリカ映画が見られなくなると心配したからだ。
当电视上播放着日本成功偷袭珍珠港的报道,作家野口富士男如若视而不见一般,仍旧奔向心心念念的电影院。他在私小说《那天,我》中描述道,当时他担心之后再也看不到美国电影。
映画の最中も、隣接したカフェからラジオの大音量が聞こえてきた。開戦のニュースそして軍艦マーチがスクリーンの音をかき消してしまう。俳優の顔を食い入るように見つめ「戦争の中から戦争とは違うものを懸命になってもとめていたのであった」。
即使放着电影也能听见隔壁咖啡厅里收音机震耳欲聋的声音。宣战新闻还有行进军舰的声音辗过了电影的原声,奏响了隆重的“配乐”。他像是要把演员的脸都盯出个洞,拼命地在硝烟弥漫的战场上寻找不同于战争的什么。
上映されていたのは「スミス都へ行く」。アメリカ民主主義を鼓舞するような作品である。若き上院議員スミスが、汚職まみれの資本家や議員を向こうに回し、演説で腐敗を暴露する。
放映的影片是《史密斯先生到华盛顿》。一部鼓吹美国民主主义的作品。年轻上议院议员史密斯与贪污腐败的资本家和议员抗争,用演说揭露他们的丑恶行径。
対米戦争が日本の民主主義の未熟さの果てに起きたことを考えれば、皮肉な取り合わせだ。政敵を攻撃するため軍部にすり寄った議員が私たちの国にはいた。政治家たちは文民統制を強める努力をすることもなく、翼賛政治に身を任せた。
如果把日美战争理解为日本民主主义尚未成熟酿成的苦果,两者的搭配近乎于讽刺。我们国家的确存在着为了攻击政敌而臣服于军方的议员。政治家不努力加强文民统治,而是委身于傀儡政治。▼
当時の日本にスミスを探すなら衆院議員斎藤隆夫だろうか。2・26事件の後の「粛軍演説」で、軍人が政治に関わろうとすることの危険を説いた。日中戦争が長期化するなかの「反軍演説」では、国民に犠牲を要求するばかりの政府を追及し、戦争の収拾を求めた。
那时如果要称是“日本的史密斯”,笔者认为只有斋藤隆夫可堪此赞誉。2·26事件后的“肃军演说”上,他指出了军人参政的危险。中日战争陷入持久战时,他在“反对军队的演说”上,控诉一味牺牲国民的政府,呼吁尽快结束战争。
しかし斎藤は、軍部におもねる議員たちの手で衆院を除名されてしまう。その後の日本は日中戦争の泥沼から抜け出そうと、新たな戦争に手を伸ばすことになる。
但是作为军方走狗的议员把斋藤赶出了议院。那之后日本为了摆脱中日战争的泥沼,又发动了新的战争。